yocoshicaのブログ

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推しグループの初ナゴヤドームライブまでをなぜか毎日カウントダウンしているブログでした

バイバイ、ヴァンプ!観たよ、オタクの感想

・推しは今までで1番セリフもあって重要な役でした
・推しが出ている映画なので精一杯好意的に見ました
・それでもこの映画には問題が多いと思うので、理由を書きます


はー

推しの出演作を批判するのってオタクとしてすごくすごくやりたくないことだし、この文章を一時的にでも世に出すことが推しにとってマイナスになりませんようにと心から祈ってるけど、オタクのなかでも年長の方の人間の責任として、この映画はおかしかったということを書いておかねばと思ったので、書きます。


う〜ご存知のとおりあんまこういう真面目なというか…お気持ちブログに慣れていないので、読むのがしんどいかたは全然読まなくて大丈夫です、楽しい話は全然してません!あと単純に文章が下手で読みづらいとおもう〜〜頭良くなりてあ〜




映画公開までと自分が見た経緯


えーとまずこの映画なんですが、じつは1年前に完成していて、先行上映会まで行われていたということを軽く書いておきます。

自分はそのとき推しのイベントとかぶっていたので行けなかったのですが、そのまま何ヶ月待っても公開の報せが出ず、正直このままお蔵入りなのかなあ、あの内容だしどこかから差し止めがかかったのかなあと思っていました。その後、鑑賞することをほとんど諦めていた昨年末に「2020年2月14日公開」という告知が出て、なぜかそれまでの公式サイトが閉じられ新しいURLに変わり、先日ようやく劇場公開となりました。



そういう経緯があったので、予告編とあらすじのヤバさは身内でも話題になっていたものの、1年かけて再編集等の措置がなされたのかもしれないという淡い期待もあり、本編を見るまで何も言えないなと思っていました。まあ本編を見た結果、このようなお気持ちブログを書くことになっているのですが…。




あらすじ

中世のルーマニアから永遠の命で密かに人間と共存し生きながらえている美貌のヴァンプたち。何百年の時を経た今、新しいヴァンパイア王国建設の場所に選ばれたのはルーマニアではなく、ここ日本の茨城県にある学園、私立野薔薇高校だった。

 ある日のこと、京平の小学校からの親友である吾郎が何やら怪しい人影に襲われてから状況は一変する。翌日、女好きの吾郎が、突然女装した同性愛者となってしまい、クラス中で大騒ぎになってしまう。巷では「この町にヴァンパイアが出現している」と噂されている中、京平たちは、吾郎を噛んだのがヴァンパイアで、ヴァンパイアに噛まれると同性愛になってしまうのではないか?と考え始める。

(映画公式サイトより引用)


この映画のオリジナリティでありストーリーの核は、あらすじにもあるように「ヴァンパイアに噛まれたら同性愛者になる」という創作上の設定です。


わたしはなんとか擁護できるところがないかと思ってこの映画に接してきたので、設定それ自体を取り上げてアウト判定はしなかった(性別が変化するとか、外見が変わるとかと同じように、持って生まれた特性が変化するファンタジーとしてギリギリ受け入れられないことはないので)し、予告から察せられる「同性愛者になることを回避しようとする高校生たち」というきついストーリーも、自分の性的指向を勝手に変えられるのは嫌だよね、という見方をすればかろうじて許せるものでした。


でも本編を見てみて、この「同性愛者になる」ことの描き方があまりにも前時代的で、偏見に満ちていたところが、個人的に許容できる範囲をはるかに超えていたので、その内訳をすこし書きます。



歪みすぎた「同性愛者」の描写


まず、この映画はヴァンパイアをタイトルに掲げていますが、理性を失い伝搬していく恐怖が強く打ち出されているので、ゾンビ映画を思い描いたほうが近しい想像ができると思います。


あらすじを読んだ段階では、ヴァンプに噛まれた人間たちに付与される特性は「同性が恋愛対象になる」だけだと思っていたのですが、実際の映画を見てみると「快楽に弱く、ところ構わず性的な接触を求めだす」とか「相手は誰でも良い」とか「同性間の友情が成立しなくなる」とか、同性愛に対するありとあらゆる誤解を濃縮したような特性が同時に付与される描き方になっていました。


この描写からは「同性愛者は、同性であれば相手は誰でも良くてセックスのことばかり考えている」等という製作側のひどい思い込み、または差別意識を感じざるを得ないし、それは現実で今まさに当事者の方を取り巻く偏見でもあります。



植田監督の過去作を見ても、こういった偏見に満ちたステレオタイプを笑いとして扱うことに抵抗がない人なんだろうなとは思いますが、今この日本で、後述しますが偏見を偏見だと認識できるかに不安のある若年層に向けた作品で採用するには、あまりにも配慮に欠けていて無神経な描写だと思いました。


ほかにも、恋愛対象が同性であることと異性装を好むことが同一視されていたり、同性愛者は本当の愛を知らないと受け取れるようなセリフがあったり、意識的だとしても無意識だとしてもあまりにも不勉強で映画のテーマに対して不誠実だと感じるシーンが多かったです。そして、この映画がコメディである、笑って良いものであるというパッケージに包んで公開されていることに、強い嫌悪感と危機感を感じました。





オタクとしての悲しみ


うーーー普段使い慣れない言葉でしゃべるのは難しいし、誰かがおそらくは真剣に作ったものを批判するのは気力が要ります。上記みたいなストーリーに対する問題や懸念は、もっと語る言葉を持った方がきちんと語ってくださるんだろうなとも思っています。
それでも今回の件で、わたしがこの記事を書かねばと思ったのは、この映画がアイドル映画として公開されてしまったことを悲しく思っているからです。



主演の寺坂くん、そしてわたしの推しもですが、彼らのファンには10代や20代前半の、これから自分の中の常識を形成していく世代の子がたくさんいます。そして、原案者でありプロデューサーの大勝ミサさんや監督の植田尚さんが過去にアイドル出演の映画を多く手掛けてられていることから考えても、この映画がアイドルファンの動員をあてにした映画として成立していることを否定するのは難しいです。



つまり、この映画はチラシや予告を見て面白そうと思った人、こういった思想に自覚的な人だけが見る話では無いとわかって作られているということ。

「推しが見たい」と思って映画館に足を運んだ子たちに、騙し討ちみたいにしてこのストーリーを見せることがどれほど罪深いことか、それを誰も意識しなかったんだろうか。これを無邪気に面白がれてしまう層に偏見をばら撒いたことを自覚しているんだろうかと、どうしても考えてしまいます。



われわれの(オタクの、大人の)責任


わたしが現場やTwitterで仲良くさせてもらってる中高生ファンの子たちは、みんな他人の気持ちを考えられる、思いやりと想像力のある聡明な若者たちだけれど、そんな彼や彼女たちにこの使い古された偏見を笑いとして見せてしまうことが大人として苦しいです。そして、TLに流れる「楽しかった、面白かった」という無邪気な感想が、刃となって別の誰かを傷つけている現状をとても悲しく思っています。


そして、「推しが出るから見る」というわれわれのようなファンの存在がこういった映画を成立させてしまっていることがつらいし、率直に言ってオタクとして、推しを応援したいと思っている立場として、こういうときにどうしたらいいのかわからないです。


推しがやっと掴んだ仕事の邪魔をしたくない、推しのことは全肯定したいし、そもそもが厄介なオタクなのにこんなこと言ってしまって推しに合わせる顔がない。推しは自分でこの仕事を選んでいない(断言できます)し、拒否できる環境でもない(断ればよかったと気軽に言える人とは見ている世界が違いすぎると思っています)ので、気持ちのうえでは擁護したい。

でもそれによって次またこんな作品が世に出ることの手助けをしてしまったらと思うと耐えられないので、口うるさい客としてここで怒っておかねばとも思っています。今まで事務所が見せてきたヒヤリハットに口を噤んだ結果がこれなのだから、完全なもらい事故でもない。応援ってなんなんだろうなあ、どうするのが1番良いんだろうなあ。



ものづくり系の仕事をしている社会人としても、一度走り始めてしまったプロジェクトを止めるのはものすごく難しいということを知っているけど、だからこそ客側がNOを言わないとだめなこともわかってしまうから、こんなに暗くて読んでいる誰も楽しい気持ちにならない文章を書いています。ほんとーに、アイドルオタクとして主義に反することをしているので、心が痛いけど、それを上回る危機感と罪悪感があります。





映画が楽しかった人、これから見る人へ


楽しくあの映画を見たという人、言うほどひどくなかったと思った人、いらっしゃると思います。たぶんこの文章はそういう方々の楽しかった気持ちに水をさしているし、良い思い出を奪ってしまったかもしれないです。これから見る人も楽しみにできなくなってしまったかもしれない。それはこの文章を書いて公開したわたしの責任です。ごめんなさい。


ただ、もしもこの記事のはじめのほうに書いたような偏見に無自覚であったなら、何の違和感もなくこの映画の「同性愛者」の表現を受け入れていたなら、あなたが面白いと感じた描写が誰かを傷つけるものではなかったかを、思い返してほしいなとすこしだけ思っています。


(それでも、映画を見ずに、あらすじだけを見て「苛烈に」批判している人に対しては良い気持ちを抱けていません。見られない、見たくないという気持ちは分かろうとしたいですが、見ないでできる批判には限度があると思うので。)



推しの扱い、本当に良かったんですよ……。ほんとに、すごく、大事な役をもらってたんですよ。この映画じゃなかったらお赤飯炊いて喜んでたぐらい、良い演技だったし、大きな仕事だった。だから本当に本当に悲しいです。見たあと悔しくて泣いちゃったし。(ド厄介…)は〜こんなオタクがいるせいで推しの仕事が減りませんように。




オタクとしてのお気持ち表明はこんなところですが、わたしは推しのことが大好きなので、こんな映画に出ないことを選べるようになるまで売れてほしいなと思っています。演技やセリフによって傷つけた人がいることは紛れもない事実だと思うので、責任がないとはまったく思わないですが、その責任以上の批判は向けられないでほしいとも思う。

そして、間接的にでも公開を後押ししてしまったファンの1人として、すでに公開され人の目に触れてしまったこの映画が、せめて差別や偏見を拡散するものではなく、それに気付いて考えるきっかけになることを願っています。